老村長

 老村長はたどたどしい足どりで帰つていつた。 猪首の校長もぶり/\しながら学校へ戻る。外へ出ると興奮してゐる。なんて物好きな、わけの分らない老耄《おいぼれ》なんだ、あいつは!

 老村長は氷川馬耳といつた。五十五だが六十五にも七十にも見え、老衰が静かな哀歌となつてゐる。彼の顳※[#「需+頁」、第3水準1-94-6]《こめかみ》の奥では、彼自身の像が希望と覇気を失ふて、永遠に孤独の路を帰へらうとする無言の旅人に変つてゐる。 馬耳老人は家へ帰つた。村の旧家であるが貧困のために極度の節約をしてゐたので、がらんどうの大廈《たいか》には火気と人の気配が感じられなかつた。 弟の妻、三十になる都会の女。爽やかな美貌の女が出迎へにでて、帽子と外套をとる。「今夜は来客がありますからね。闘犬のやうな荒々しい若者がくる筈だから……」 馬耳は病妻の寝室へ行つた。病妻は挨拶のために数分も費して僅かに頭の位置をうごかす。その部屋の縁側へ出て、いつものやうに馬耳は籐椅子に腰をおろした。 妻が病んでもう三年。彼が此の椅子に腰を下して遠い山脈と遥かの空を無心に仰ぎだしてから、もはや三年すぎてゐる。 病妻もやがて死ぬだらう。そして、妻は死んだといふ言葉となり、一つの概念となることによつて彼を悲しますかも知れない。今、生きてゐても死のやうな病妻。言葉も動作も、そして存在すらも已に失つてゐるかのやうな妻。已に現実の中で彼女は死滅し、彼女は已に無のやうであるが、やがて、彼女は死んだといふ言葉となり、一片の言葉となることによつて現実のなかへ彼女は寧ろ蘇生する。さうして、馬耳を悲しますに違ひない。 弟の妻、三十になる都会の女が縁側の籐椅子へお茶を運んできた。そして、病妻の寝室の隣り部屋、彼女の部屋へ帰つていつた。馬耳は彼女に、今夜は来客がありますよ、闘犬のやうな荒々しい若者がな、と言つたのである。そして、白樺の高原を踏む荒い単調な跫音《あしおと》に就て考へた。 籐椅子に凭れずに、尠《すこ》し上体を前こごみにすると、隣の部屋に編み物をする弟の妻、ことし三十になる女の半身が見えるのである。もう二尺籐椅子を前へ動かすと、こごまずにも女の全身が見えるであらう。併《しか》し馬耳にはその勇気がない。この三年、それは長い習慣によつて定められ、庭の立木や妻の寝姿への角度を通して然あるべきやうに慣れてしまつた古い場所で、もし椅子を二尺動かしたなら、恥と叱責に満ちた傷口のやうな真空が二尺の場所へ発生して、寒い冬空へ混乱を、そして馬耳へ混乱を与へるに違ひない。

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