僕のおふくろ

 大杉君もかなりオシャレだったようだが、野枝さんもいつの間にかオシャレになっていた。元来そうであったかも知れなかったが、僕と一緒になりたての頃はそうでもなかったようだ。だが、女は本来オシャレであるべきが至当なのかも知れぬ。しかし、お化粧などはあまり上手な方ではなかった。 僕のおふくろが世話をやいて妙な趣味を野枝さんに注入したので、変に垢ぬけがして三味線などをひき始めたが、それがオシャレ教育の因をなしたのも知れなかった。 だが文明とか文化というのはオシャレの異名に過ぎない。オシャレ本能をぬきにして文明は成立しないだろう。僕も精神的にはかなりオシャレで贅沢なつもりである。仏蘭西のデカダン等はみなみな然りであった。 ブルジョア文化だかなに文化だか知らぬが、とにかく人間が進化するというのはオシャレになるということに過ぎない。いくらブルジョア文化に反対するプロレタ文化だって、みんなが青服を着て得意になるということばかりじゃあるまい。みんなが、人間みんなが一様に贅沢な、文化的な生活をしなくてはならないということなのじゃあるまいか? 今の資本家など称する輩はだが、たいてい財力を握っている野蛮人に過ぎないような観がある。金ピカ崇拝の劣等動物で、芸術だの学問などの趣味のわかる人間は殆ど皆無といっていい位である。だから、かれらがこしらえている都会をまず見るがいい、――いかにゴミタメの如く小汚なく、メリケン町の場末の如く殺風景であるか! 自分はすき好んで放浪している訳ではない。僕をして尻を落ち着けさせてくれる気持ちのいいところがないからなのだ。恐らく贅沢でわがままな僕を満足させてくれるような処はどこへ行ったッてないのかも知れない。

— posted by id at 03:33 pm  

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